道官咲子碑

ふとしのび出でて東西の吉崎別院へ赴く。
人口二百数十人の小さな吉崎町にある東西両別院であるが、さびさびとしてまるで人の気配がない。かっては、加州・能登・越中・奥羽からの参詣の群集で溢れかえった在所も、交通の便の悪さからか、いまや僻地の様相である。近頃「寺院消滅」というセンセーショナルな語を聞いたりするが、ガランとした伽藍や境内を見るに、さもありなんと思ふ。
このような僻地であることの利点を生かし、都会の喧騒を逃れ何も無い環境下で、ぼんやり日を過ごす僻地での宿坊(=参拝者のために作られた宿泊施設)として利用できないかと宿泊などのインフラの事前調査をしてみた。後日改めて「聞見会」有志で調査の上でレポート予定。

さて、「諸行無常」(*)は仏教の通規であるが、ふとしたことから知った吉崎の近くにある『安東の母」の碑を見てきた。これも戦争というものの歴史のひとこまであるが、時間というものに埋もれていくのかも知れないというのでページをリンクした。
なお、リンク先の安東市とは旧満州の安東省(現在は中華人民共和国の遼寧省丹東市)のこと。


昭和20年8月15日の満州・・太平洋戦争が敗戦で終わった。敗戦で肩をすぼめて歩いている大勢の日本人の中で、ただ一人背筋をしゃんと伸ばし、会う人ごとに、「日本に帰るまで、がんばりましょう」と元気よく声をかけている姿。戦争が終わったというのに、地味な着物にモンペ姿、髪は満州では珍しい束髪であった。その時、彼女は大きな唐草模様の風呂敷包みを背負っていた。私(著者)の問いかけに、母は「怪我をしている兵隊さんたちの包帯を作る木綿の布を集めてるんですよ」と教えてくれた。

情報源: 長瀬正枝著・「お町さん」

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